稀代の浮世絵師、葛飾北斎

代表作「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は、世界で最も知られる作品のひとつです。その構図の斬新さ、デザイン性、一瞬を捉えた魅力の数々を、人々は愛してやみません。この名作を残した北斎とは、どのような人物だったのでしょうか。大英博物館との共同企画である本展では、日英の第一線の浮世絵研究者が、北斎の人物像や精神性を解き明かします。


北斎は70年に及ぶ画業の中で、さまざまな画法を学び、森羅万象を描き出しました。風景や動植物のような目に見える世界だけでなく、晩年には龍や鳳凰、聖人などを題材にして、日常を超えた想像の世界を肉筆画で表現しています。 画家の筆遣いがそのまま画面に残る肉筆画には、北斎の卓越した技術や色彩の美しさ、溢れ出す才能の全てが色濃く表れています。


本展では、北斎の晩年30年に焦点を当て、肉筆画を中心に世界中から約200点の作品が集結。北斎が「富士」の高みを超えて、自らが希求した「神の領域」に到達すべく描き続けた軌跡に迫ります。

70歳を過ぎて生み出した、代表作「富嶽三十六景」

北斎にとって富士山は、大自然の象徴であり、超絶なるものの象徴でした。すなわち、崇高なる神であり、超えるべき目標でした。いつしか北斎は、富士山に自身の人生を重ね合わせていたように思われます。1820年代後半、妻の死や自身の病気、孫の逸脱行為による経済的困窮など、さまざまな苦難を経験した北斎にとって、「富嶽三十六景」シリーズは画家としてのキャリアを復活させるきっかけとなりました。

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館
© The Trustees of the British Museum. Acquired with the assistance of the Art Fund.

「富嶽三十六景 凱風快晴」

「富嶽三十六景 凱風快晴」

天保元~4年(1830~33)頃 大英博物館
© The Trustees of the British Museum.

神の領域への軌跡

19歳で勝川春章に入門し、翌年デビューを果たしました。それから70年、絵師として神の領域を目指す北斎の苦闘が始まります。35歳頃に勝川派から離脱した後は、狩野派、琳派の作品にとどまらず、中国画や西洋画を学び、自流に取り入れていきました。70歳になってから「富嶽三十六景」「諸国滝廻り」に代表される風景版画のシリーズを発表。75歳で「画狂老人卍」と改名して後は、肉筆画と絵本・絵手本を中心に画業を展開し、90歳で没しました。

「芥子」

「芥子」

天保2~3年(1831~32)頃 大英博物館
© The Trustees of the British Museum.

「花見」

「花見」

文政7~9年(1824~26)頃  ライデン国立民族学博物館
© Collection National Museum van Wereldculturen. RV-1-4482-m

娘・応為も北斎を凌ぐ絵師だった!?

北斎に「美人画ではかなわない」と言わせた程の力量を持っていた北斎の三女、お栄(応為)。応為の肉筆画は少なく、推定作を含めても10点も現存しません。本展では応為の作品を3点展示します。

「月下砧打ち美人図」

天保後期~嘉永7年(1840~54)頃 東京国立博物館
Image:TNM Image Archives

「月下砧打ち美人図」

「月下砧打ち美人図」

天保後期~嘉永7年(1840~54)頃 東京国立博物館
Image:TNM Image Archives

80歳を過ぎて訪れた土地、小布施

小布施の豪商・高井鴻山の招きで、北斎は弘化2年(1845、86歳)にお栄と共に小布施に旅行し、小布施の祭屋台の天井絵として一対の「濤図」を描きました。北斎は、「富嶽三十六景」シリーズを完成させる前から波の描き方を研究しており、「濤図」は、北斎の波の集大成とも言える作品です。2枚の絵を並べると道教の陰陽を対比させた「太極図」が浮かび上がって見えます。太極とは、道教の教えで全ての根源を意味します。北斎は「波」だけではなく、「宇宙」の成り立ちをも描こうとしていたと考えられています。

上町祭屋台天井絵「濤図」
上町祭屋台天井絵「濤図」

上町祭屋台天井絵「濤図」

弘化2年(1845) 小布施町上町自治会

「鳳凰図天井絵彩色下絵」

「鳳凰図天井絵彩色下絵」

弘化3年(1846)頃 小布施町・岩松院

天があと5年命をくれたなら、真の絵師になれたのに…

北斎の晩年の作品では、龍や獅子、鳳凰、鷹などの生き物、そして力強いエネルギーにあふれた伝説上の人物や聖人が生き生きと描き出されます。北斎の数え88歳から90歳で亡くなるまでに描かれた肉筆画の数々は、北斎が信仰と芸術の崇高な領域に達したことを示しています。北斎は亡くなる直前に「天があと5年命をくれたなら、真正の絵師になれただろうに」という言葉を残したと伝わっています。死を前にしてもなお、画家として理想を追求し続けた北斎。彼が目指した神の領域とはいかなるものだったのでしょうか。

「雪中虎図」

「雪中虎図」

嘉永2年(1849) 個人

「富士越龍図」

「富士越龍図」

嘉永2年(1849) 北斎館